
・積みゲーの本数:19本
今週は体調不良やYouTubeの録画などの作業時間が長くかかりましたので、ゲームの進捗はありませんでした。
その代わりと言ってはなんですが、ゲーム実況の方をよく見ていました。テイルズオブアライズやアバチュ、メガテン4F、無限のフロンティアなどなど・・・。ストーリーだけをプレイバックして、振りかえるには非常にいいですね、実況動画。
前回も述べましたが、ここから面白いソフトを興味向くものを見て、購入する・・・などの方策をとることもできます。僕は変わっているのか、ストーリーとかおもしろそうなものを、さきに内容見せてくれた方が、購入しようという気になるのですね。DSのテイルズ(テイルズオブハーツ、イノセンスなど)とか、懐かしいですね・・・。
・僕のやりたいこと(車窓の風景を見つめていくように、じっくりと創作を楽しんでいく)
いまさらながら思ったのですが、僕は創作すること、自分の作品を作り続けていくことをひたすらやっていたい人のようですね。いつ息が切れてもいいのですが、生きている間は作品制作をし続けたい。お金はあったほうが人生が豊かになるし、「貧すれば鈍する」のことわざのごとく、お金のためだけに無理をしてはたらき続けることになり、そうなると制作も出来ないのである程度はほしいですが、生きて制作が続けられるだけの分だけあればいい・・・。
大事なのは作品制作であって、休みの期間をとることが中~長期あったとしても、インプットの期間(ゲーム、読書、睡眠などなど)が長くなっても、制作のことを考えて、それに注力して生活していく・・・。
そのために生きているような気がします。
だから僕の人生の目的は制作(アウトプット)と、面白い作品の消化(インプット、あるいは娯楽のための消費)でありますね。もちろん哲学や心理、仏教なども好きなので、それを純粋に研究すると言うこともありますが、基本は制作ですね。
考えてみると、今回出した新作の件もそうなのですが、僕は分析した結果、自分の作品にたりないものは「認知」であると思いました。しかし、立ち位置を振りかえるに、作品の方向性自体が影響を与えているところもあるように思います。たとえば僕の作品の主人公は大学生の男っぽい人ですが、ショタ好きにはウケが悪いような気がします。
ショタ好きの人、かなり多いですよね・・・。
そこからして、お客はもう感情移入が出来ない。
だからウケが悪い・・・。
いわゆる売れ筋路線か否か・・・。そのような問題圏になってくると思います。
だからといって僕がショタを描くことはない、というか・・・。それは僕が一番感情移入できるのが、孤独で、男っぽい大学生くらいの、性欲を持て余し、くだらないことに頭を悩ましている人物像だからなんですよね。
・・・とはいっても、まあイチ登場人物としてショタみたいなのはだしてもいいかな。
女性が上位で、お姉さんみたいなのは昔から好きだったので。とはいっても年下の気の強そうで自信のある感じの女性といたすのは面白いなと思う。
だから属性的にはオネショタものがいいのかなと。
年少の男子にはかわいさ、というか・・・。小動物を見るような感覚はありますね。そういうのは心のうぶ毛をさかなでることもなく、スッと受け入れられるので、かわいい動物をみている感じではあります。
もう死んでしまいましたが、柴犬を飼っていたことがあるので、あれはかわいかった気はしますね。そういう感覚で年少の男の子キャラを創造してみるのもいいのかなと。
さて何を話していたか話題がズレていった気がしますが、制作するのが「生きる目的」であるならば、そこまで「制作、制作」といって焦る必要性もないのかな、と。最近眠気が強く、目標をもって作画するのはいいことなのですが、疲労感が溜まっているなという感じがしていました。
・・・年中そんなこと言っているような気がしますがw
どうもがんばりすぎてしまうというか、余裕を持って作画・制作することになれていないというか。。。休んでエネルギー溜めて、バッテリーに余裕を持って試運転を・・・とか思っていると、いきなりフルパワーで活動し、一気にバッテリー切れを起こしてしまう・・・。そういうことを繰り返しているような気がするのです。
40代に入ると、30代の時には動いていたからだがどんどん動かなくなってきます。それで休みをとり、眠気を感じたときは素直に寝るようにしているのですが、それでも累積・蓄積される疲労感がある。
僕はどうも理想が高すぎて、それがために、理想となる「創作計画」を設定して、それができないと、できない自分を“責めて”しまう・・・。そういうループを形成してしまっています。
でも、自分を責めてしまうと、他人も責めてしまいます。理想の他者になっていないと、自分の思うとおりにならないと、他者を責めてしまうのです。仏教の唯識思想でもいうように、世間は鏡、他者は他者の姿をした“わたしのココロのあらわれ”ですから。他者を責めているのは、自分を攻撃しているのと変わらない。
なのでそういう傾向にあるときは、ゆっくり休みをとる。もしくは「理想」を“現実”に見合うように修正する・・・などの行為をとることで心理的・身体的にラクになっていきます。
いまは体調不良やYouTubeの撮影・編集などで時間が取られていますが、決して作品制作が遅れているわけではない。
小目標としては18日までにあと残り一枚の作画をすませればいいわけですから、急ぐ必要はない。休みたいときや体調不良の時は、ゆっくり体を休める期間を中長期とってもよい。自分の「生きる目的」は、制作である。人生を通して制作し続けていく・・・。
人気もゆるゆると伸びていけばいい。
急激な伸びはいらない。。。
そう、たとえるなら、列車に乗って車窓から、流れてゆく景色・飛んで行く風景を一つ一つ目で追いながら、じっくりと観賞し楽しんでいくようなもの。「楽しむ」ことを忘れ、累積的に蓄積される疲労感に圧迫され、“理想”的な計画に押しつぶされているのは、おかしい。
もっと人気も、実力も、結果も、じわじわと伸ばしていけばいい・・・。
そういえば先月アップした「悲報」のYouTubeが、はじめて1000回の視聴回数を超えそうです。高評価もけっこういただきました。そういう一つ一つの事象や反応を、一つ一つを楽しんでいく・・・。
そのくらい余裕をもってやっていくのがいいのではないか。
上を見ると果てしなく「結果」を出している人はいますが、すぐにそういうふうになれなくてもよい。
苦しいときは理想のほうを下げていく・・・。理想が“幻想”になる前に、ゆっくりしろ、休め。
ぼくの根源的な苦しみは、自我理想の高さが自己の本体を、絶え間なく責め続けることにあったのです。
目標よりも大事なのは、「生きる目的」です。
なんのために生きているのか。
それは僕の場合、心地よく制作をする、楽しむ。インプット(他者や企業の作品を楽しむ、読書をする)、アウトプット(制作、ブログを書く、YouTubeなど)をやること、それがすべてです。
人生をかけてやっていくもの、ライフワークだから、じっくりじっくりやっていけばいい・・・。
テンション高くやることも大事ですが、体を壊しては元も子もない。
やはり休みは週一よりも、二くらいとったほうがいいかもしれない。それをふまえたうえでスケジュールを組んでいく。
月に6~8日ぐらい創作は休みにする。
とくに体調が悪いときは無理をしない。
・CG集進捗(立ち絵:1/1枚、基本CG:2.5/4枚)→手を動かす
基本CGの3枚目が5割くらい出来てきました。このままいければいいですが、18日までに基本CG完成という目標は変えませんが、差分のこと、あるいは表紙のことを考えると
11月末まで伸ばした方がいいかもしれませんね。
まあ、ゆっくり自分と相談しながら決めていきます。




