闊達行雲のお絵かき&レビュー

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大きな氷ほど、溶けるのに時間がかかる(深く休息するための一考察)

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「氷山の一角を示す画像をください」。

そういうと、AIは上のような画像をかえしてきます。

ところでこのような画像をみるたびに僕がイメージするのがフロイトの「抑圧されたものの回帰」という概念です。

解説を聞いてみましょう。

 

・「抑圧されたものの回帰」

 

「抑圧されたものの回帰(Return of the Repressed)」は、精神分析の創始者ジークムント・フロイトが提唱した重要な概念です。

簡単に言うと、「意識から無理やり追い出したはずの不快な記憶や欲求が、形を変えて再び意識や行動に現れてくる現象」を指します。

以下に、その仕組みと現れ方を整理して解説します。


1. 仕組み:なぜ「回帰」するのか

私たちの心には、そのまま認めるにはあまりに苦痛だったり、社会的な道徳に反したりする感情や願望があります。心はこれらを「無意識」という箱の中に押し込めて、見えないようにします。これを抑圧と呼びます。

しかし、抑圧されたものは消滅したわけではなく、無意識の中でエネルギーを持ち続けます。そして、抑圧する力(防衛)が弱まったときや、似たような状況に直面したときに、なんとか表に出ようと出口を探します。

2. 回帰の現れ方(症状や兆候)

抑圧されたものは、元の生々しい形のまま出てくることは稀です。多くの場合、「変装」して現れます。

  • 失策行為: 言い間違い、書き間違い、物の紛失など。

  • 夢: 眠っている間は理性の監視が弱まるため、抑圧された願望が象徴的なイメージとなって現れます。

  • 神経症の症状: 理由のない不安、強迫観念、あるいは原因不明の身体の不調(転換症状)など。

  • 性格特性: 過度な潔癖症や、特定の対象に対する強い嫌悪感として現れることもあります。

 

創作しているといろいろな夢を見ることがあります。多くは些末な不安や悩みが混在したものが多いような気がします。

 

家庭の中で父の影、そして母・きょうだいの支援が得られない孤立感、孤独感。そしてそういうものを抱いたまま、学業に精を出しそこそこの学歴を得て、意気揚々としていた大学時代(0~23才)。そしてそのすべてが相対化され、大きかった自信は社会の荒波の前に粉々になり、地を這うように生きてきた時代(24~39才)・・・。

そして40代に入り、それら僕を孤立・孤独の檻の中に閉じ込め、地べたを這うような生活を強いてきたもの・・・。その多くの謎が氷解する「マスターキー」を得て、創作~作画、そしてブログ~に精を出している現在(40~)・・・。

 

映り飛んでいく車窓の景色を列車の窓から眺めるようにして、自分の過ごしてきた時間や季節が、目の中に映じてくるように思います。

 

・自分の人生のバイオグラフ(ライフラインチャート)

心理学にてライフラインチャートというものがあります。ライフラインチャート(モチベーショングラフとも呼ばれます)とは、自分のこれまでの人生における「モチベーション(充実度や幸福度)」の浮き沈みを、時間の経過とともに可視化した自己分析ツールです。

 

 

僕でいうと社会に出るまでは紆余曲折ありながらも上り調子、その後は15年ほど下り調子、そして40代に入り再び下がっていた直線が上向き始めた感じでしょうか。

 

・氷山の一角



いろいろと分析をやってきていますが、大きいのは自分の内側にある「水面下の氷」を掘り起こす作業なんですよね。

作業をしていると時々手が止まってしまう時がある。そしてブログを綴る・・・。そういうときにやっているのは、氷山(無意識)の領域を探ることのような気がします。

 

その水面下にある氷山の大きな塊の“正体”を掴む・・・。そこに作家としてのおもしろさが「ある」・・・。

 

さきほどライフラインチャートをあげましたが、このチャートで大事なのはなぜそのとき感情が動いたのか、そのときの心境をよく掘り下げることだといいます。

 

特に「落ちたとき」が大事なんですね。

 

僕の場合は、24くらいで社会に出て~そこから15年間、ずっと地を這うようなことをやってきた。途中病気をして何もできなかった時期もある。。。

27でDL同人に出会ってはいるけれど自我がからまって、ブログをまずやって文字を書いて比較的自由に動ける文章の中で、いま自分のやっていることの分析、そして過去(学生時代)から持ち越してきたことの分析をやっていく必要があった。

その氷山の“本体”側のほうにアクセスしようとすると防衛が強く、なかなか本体の氷山にアクセスできない。そして「そこ」にはどうも“小さくないもの”があるような気がする。。。

 

それを長い間、見ないようにして生きてきた。あるいは、もっと“薄まった”世界の中で、こころの上っ面をなぞるような、上辺だけの生を送っていた時期もあった。

 

氷山“そのもの”に触れようとすると、強力な冷気で近づけない(冷気の作り出すオーロラ・イリュージョンと戯れている感じ)し、無視しようとすると、自分が自分から遠く離れていき、おかしな行動をとり、生活がうまく回らない・・・。

少しずつ向き合っていく・・・。

向き合うのは苦しい。でも逃げ出すと、もっと苦しい目に合うような気がする。

逃げれば現実から冷たい風として、逃げ出した自分に凍りつくように冷たく吹き付けてくる・・・。

 

重たい自分(氷山)はずっと鎮座したまま変わらない。

 

 

・その上に“自己嫌悪”→自分が一番重かった

 

→これも強い。

氷山の大きさがもう面倒くさい・・・。たまに荷物が大きくなって投げやりになるのもいいんじゃないの・・・!といった感じで。

キツくなると自分から目を背けて「別の人の真似」をしてみたり、怒りに駆られて突拍子もないことをやってみたり。

若い頃は、もうめちゃくちゃ。

そういう自分が重くて仕方ない・・・。そういうときに性にふけったり、逃げ出したり、怒ったり、ゲームやったり、中古ショップ(ブックオフとかゲーム屋など)をさまよったりしました。

 

・目をそらしても氷山はまったく変わらない。時間をかけて向き合っていく

 

自分の“ココロの本体”を知り、その自分が望んでいることを現実に即して少しずつでも実現させようとしていくこと。苦しいけど感情の声を聞き、休むときには休んで、少しずつ本体の氷山にアクセスし続けること、向き合うこと。

そうすることで確実に運はいいほうに変化していく・・・。

見つめずに氷山から逃げ出しても、より苦しく、意味も薄い道が待っている。ごまかしマイペースでも、やんわり・ぼんやりとでもいいから本体(無意識)と向き合っていくのですね。

 

・芸術の道

絵を書いていると最近ですが、文章による分析をしたくなるときがある。そういうときは筆を置いて休みを取り、身体を休め、今思っていることをしたためていくこと・・・。そうすることで和らいだ身心は防衛機制も弱まり、氷山(無意識)に近づくことが容易になります。

そこでわかるのは、抑圧されていた自分の感情。そして“何が”自分の欲望を阻害してきたか・・・その来歴(苦々しい過去の数々)の記憶。

その記憶の欠片から、ふだん創作に集中しているうちに気づかないうちに抑圧されている物が見えてくる。

芸術ってその繰り返しじゃないですかね・・・、全力で描く→疲れる→やりたいことやる・文章でそのころ何をやっていたのかという無意識の分析を行う。

この楽しみってかなり面白いです。

 

・前期の活動を振り返るー「小説」から入ったほうが早かったような気がする

 

ぼくの前期の創作ってプロフィールにも書いてありますが、ほとんどがブログによる自己分析でした。だって作品って1つしか出してないんですよ。

1つですよ!5年かかって。

それだけ自分の中から絞り出すようにして描いているんだろうと思いますけど、実際は「人の目が気になっていて、自分を出せない・・・」。

やっぱりそういうときは文章で小説を書いてみたほうが、最初は早かったような気がします。

マンガじゃなくて。

小説のいいところは、登場人物に自分を「投影」させて、そこから抑圧されている自分の感情を知ることができるところですね。

登場人物は作者のフィルターを通しているので、自分の感情がそこに投影されているわけです。つまり自分の「感情」が形をかえた“鏡”になる。その手鏡をみることで、自分の抑圧された感情=無意識にアクセスしやすくなるわけですね。

これは大乗仏教の「唯識」の思想そのものです。ぼくは唯識が真実であることを、小説を書くことによって知らされました。現象学の考え方も入っていたけれど、唯識のほうがもっと僕にとっては具体的でリアルだった。

マンガよりも文章のほうがコスト低く、簡単に書ける。初期、文章の方に相当偏って脳が発達していたのでその方向で伸ばしてやれば、あっさりと問題は解決したように思います。

 

詳しい来歴はプロフィールに書いてあるので時間のある時などに読んでみてください。

なかなかいい文章がかけていると思います。

 

kattatu-yukigumo.com

・「ゆっくりでいいから氷山と向き合っていこう」

 

たまに疲れて心身が疲労すると、この部分がよく見える。

絵を描いていると無性に文章が書きたくなる。。。

そういうときは、たいてい「氷山の問題」なのです。自分の無意識が外に出たがっている。

「抑圧されたものが回帰」している。

だから心身を休めるだけでなく、文章を書き読書をやって自分(無意識の欲望=氷山)としっかりと向き合おう。

そうすることで自己自身がよく分かり、自己了解が確実になって軽やかに前に向かって進むことができる。

 

・疲れた時は休んでいい

 

絵に疲れたときは休んでよい。ここに行き着きますね。

猪突猛進でやっていると溜まった疲れがまとまってくる・・・。

だからこそ定期的に週に1~2日は休まないといけないですね。

 

・大きな氷ほど溶けるのに時間がかかる。ゆっくり向き合っていけばよい

 

 

少しずつ時間をかける。

急に大きな力でやろうとすると失敗します。

少しずつ自分の中にある氷山=無意識と向き合っていく。

無意識は言語のように構造化されていますから(ラカン)、そこに抑圧された“意味”を読み取っていくことで楽になっていきます。

 

 

気持ちよく創作していきたいですね。