闊達行雲のお絵かき&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

RPG進捗状況⑫

引き続き、RPG制作に注力しています。

中盤最後の施設の作成

大ボスのイベント作成も完了し、中盤最後の施設を作成しています。ここは中盤はイベントシーンだけで過ぎていく場所なのですが、物語上、とても重要な施設になります。NPCも独自のものが求められるので、キャラ作成ツールで作りながら、制作しています。マップは出そろってきたので、これからキャラの設置、イベント作成などを行い、後半につないでいきます。

 

文章を書くことから、絵を活かす=自分の経験談

継続して創作に向かっていく際に、これは絵にせよ文章にせよ、ツクールにせよいえることですが、まずテンションの上がることをやっていくのが基本かなと思います。器用貧乏になりがちというか、あれこれといろいろな創作をしてみたくなる人にとっては特にそう言えて、あれこれやっている割には完成できる作品が少なかったり、あるいは人から「結局、あなたは何をやりたいの?」と聞かれて、困ってしまうことがあったりするものです。
しかし、自分の中にはいろいろとやりたい気持ちが強いし、そこに「意味」も感じている。そういうとき、まず自分の中で、様々に拡散していく欲求の中で、一番強いもの、苦もなくできるもの、もっとも気軽に、いつでも、簡単に、それなりのレベルを出していけるものを“軸”に決めて、それを主軸に制作をすすめていくのがよいでしょう。
僕の場合でいうと、学生時代から勉強するにしても、いろんな教科をまんべんなく平均以上にできる、苦手なものをあまりつくらないようにする・・・。そういう欲求の強い子どもでした。文系だったので苦手なのは数学、得意なのは社会(主に世界史)でしたが、とくに教科を専門に鍛えるというよりは、全ての教科を教科書レベル、基本までとりあえずできるようにする・・・。そういう欲求の強い子どもだったような気がします。そういう傾向は創作にも現れていて、まずいろんな関心のある分野、すべてをとりあえず「基本」を押さえておきたい・・・。そういうテンションが強かったです。
ところが、社会に出てみると、対人関係で、あるいは親戚と会ったり、医者にかかって「どんな仕事をしていますか」と聞かれたときに、問題になるのは、特定の“専門的”職業なんですね。
そういうとき、創作に関して、一番得意で、できやすく、スムースに取り組めて、抵抗がなく、毎日デスクに付いたときに一番やりたくなる作業は何か、と反省してみると、自分の場合はブログをつけたり、小説を書いたりする、この「文章入力作業」が筆頭として、心の中にあがってきました。
長い間絵が好きで、作画を長時間していたのですが、絵ではなかった。絵の中では自由を感じることができない=好きなものを好きなように描ける比率が少なく、不自由に感じることが逆に多かった。「絵が描けるんだ」というところに長い間、執着し、かじりついていたのですね。ところが、描いて発表してみると、実際は自分より絵の上手い人はとても多い。短時間でスムーズに描け、自由にのびのびとやっていて、自慢する気持ちも少ない。若い人でも志が高くて、上手い人はゴマンといる事に気がつかされます。そういうとき、「ああ、自分は絵が得意じゃないし、それほど上手くもない。そんなに好きでもないのではないか」というところに気がつかされました。
思春期を振り返ってみると、自分が学生だったり社会に出た当時は、ネットはありましたが、回線速度は遅く、パソコンで絵を描くソフト(今でいうクリスタのようなもの)も少なく、ペンタブレットもあっても性能が低く、高価でありました。パソコンは普及していても、家庭用のものは性能が低く、スマホなどもない(ガラケー)。そういう中でアナログで、いわゆるノートと鉛筆、インクとペン先で描いていく・・・。そういう作業がまだまだ残っていました。30代に入るかはいらないかぐらいのときに、セルシスコミスタ(=comicstudio、クリスタの前身のソフト)がver4.0で使いやすくなって、イラスタもでてきて、PCのスペック、ネットの回線速度もどんどんあがってきて、コンシューマーのライトユーザーにもそこそこの値段でそこそこのスペックのPCやソフトが届くようになってきました。そういう背景があります。
そのため、アナログで、鉛筆に大学ノートでガリガリと描いていたときの手クセが強く残存しており、最近になるまで、そこにずっととらわれてきました。ところがTwitterなどを本格的にやるようになり、自分より若い人で上手い人に出会うようになると、その執着心、とらわれがとれていく自分がいる事に気がついたのです。自分より経験も知識もない人たちが、上手に絵を描いている。そして志も高く、下手な人を見下して優越感に浸るというようなこともなく、のびのびとクリーンな気持ちで作画できている。そう感じたとき、自分は、つよいとらわれ、執着のような気持ちがあり、絵にすがってきたのだなということに気づかされました。そして絵以外にもいろいろと取り組んできましたが、その理由は絵以外のところに、自分の創作の方向性の光を見ていた。実は得意で好きなのは、絵ではなく「文章」なのではないか。そう思っている自分がいることに気づかされたのです。
もちろん今後も絵は描いていくし、文章メインの人と比べて、そこそこ描けているという自負もあるのですが、やはり、眠りから覚めてデスクに向かったときに、一番気軽に取り組めることは何かと問うてみると、文章だなという回答が返ってくるのです。また講義のYouTube動画を見たりする時間も多いです。そういう文章を書く、そしてそこで自己主張をする。また「いいことを言うなあ」という人の講義を聞く。そういうのが好きだ、そこに気づけたのは大きいなあと思います。長い間、絵にかじりつき、執着し、とらわれてきましたが、得意で好きで、自由を感じ、気軽にできるのは、そこではなかった。「文章制作」こそ自分の得意とする方向なのだ。そういうことに気がついたのです。
そこで表題に戻るのですが、自分のようにいろいろやりたいことがある人にとっておすすめなのは、「一番取り組みやすいこと、気軽にできること、やってて苦がないことは何か」を自分の中でハッキリとさせておくことです。これがあるのとないのでは、創作のテンションが違うというか、詰まったとき、困ったとき、上手くいかないなあと思うときに戻ってくる“場所”があるという点で、全然心持ちが違います。いろいろやっていても、作品が完成してこない。続かない、いろいろと気分が拡散して、何をやりたいのか自分で自分がわからなくなってしまう。そういうときは、「気軽にやれるもの、苦もなくできるもの、なんとなくデスクに向かったときにやりたくなること」、そういうことの中に自分の専門に目指していくべき一つの創作の“光”みたいなものが見つけられるのではないかと思います。いろいろやりたいけど、たいていの場合、主軸になる創作の方向は一つです。それが何なのか。そこをハッキリさせておくことが、「いろんな可能性に挑戦してみたい」と思っている方には大事なのではないかと感じました。
自分の場合は、絵ではなかった。「文章」だった。自分で文字をしたためたり、気に入っている講義のYouTube配信を聞いていくことが一番楽で、能動的にできて、気軽に取り組める。そういう点小説を書いたり、ツクールで会話を埋めていく作業は得意でスラスラできる。そのようにして、自分の得意分野・専門分野も決まってきます。そういうところが決まってくると、あとは絵を描くなり、ツクールでいうとマップを作るなり、アニメーションを作るなりして、その主軸となる部分の付属となるところをやっていけばいい。絵を描けなくて困る必要はない。なぜなら、そこは自分の主として取り組む分野ではないから・・・・。そういう風に割り切りもでき、生きるのが楽です。
「創作でいろいろやりたい」と思っている方には、上記の内容は10年ほど取り組んできて自分なりに苦労して掴んできたことになりますので、ご自分に引き当てて参考にできるところは参考にしてみてください😊