闊達行雲の日記&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

RPG進捗状況㉑

引き続きRPG制作を進めています。タイトル絵の下書きができあがってきましたので最初に載せておきます。

 



テストプレイ、体験版の部分はほぼ完了

テストプレイを序盤の体験版配信のラインぐらいまでは再プレイして、粗いバグを潰しておきました。あとはタイトル絵を描けば、体験版の配信ができることになります。タイトル絵は物語の進行度合いを見て、二枚必要になってくるような感じもしますが、検討事項です。序盤は本当にはじまりの部分で、物語のさわりの部分ですが、4時間ほどのボリュームで簡単なサブクエや合成、序盤の物語を体験できる形になっています。配信する際はふりーむや夢現さんになりますが、今月中には配信できるかもしれません(予定)。準備ができ次第、こちらのブログやTwitterでお知らせしていきたいなと思います。

Twitter Blue取得→使い心地はあまり変わらず

Twitterで長文投稿をしたくなるときがあるのと、「ハイライト」などの機能が便利そうで、一ヶ月、お試しでやってみることにしました。プロフ画像や名前を変えるたびに、青のチェックマークの審査があるそうで、なかなかシビアな面もありますが、長文投稿が魅力的なのですね。ちょうどAmazonKindleをやめたので、そちらの料金をこちらのTwitter blueに回そうかなと考えています。
現状使用していますが、今のところ長文で投稿できるというメリット以外は特に利点を感じていません。自分のような文章書きにとっては利点なのですが、返信機能を使ってツイートしていった方がよく見てもらえるし、いいねももらいやすいのですよね。で、まとめたい場合はブログなどに控えを取って、それを話題にしながら、書き進めていけばいい。なのでいまのところそれほどメリットを感じてはいません。
使い心地を見ていきますが、この状態が続くようであれば、普通のTwitterに戻すだろうと思います。

絵を描いているとゲ制や、文章を書きたくなる

絵を描いていて長時間作画にいそしんでいると、たまに文章をダーッと書きたくなるときがあります。
また文章だけでなくゲ制をしたい欲求も強く深くなっています。絵が苦手で、それだけ自由を感じられないという点があるのだと思います。絵を描いているとそれだけ文章を書く必要性がある。
ゲーム制作は演出やアニメーションの設定など視覚的な要素もありますが、キャラの会話表示などはすべて文章です。つまるところ言葉や意味を扱っていたい欲求が強く、絵の方は、その言葉を扱っていく中で、サブにやっていけばいいもの、文章を書き、人物のセリフを書きながら、その合間に溜まってきたイメージをキャンパスに焼き付けていく感じで描いていけばよい。基本的に言語的に考えていく人なのですね。
なので、徹底して言語面で磨きをかけていくというか、作画をした際には文章を書いて、どのような心境なのかを言葉で分析する必要性がある。

そういうことをよく知っておくと、安定した心境で作画に向かえるなと感じます。

 

絵を描くのはサブ(文章制作がまず先)

絵に関してなかなか気乗りがせず、描く気が起きてこないことがありました。腰を痛めていたというというところもありますが、作画面で複雑なイラストに挑戦しており、また色塗りの影つけを根本的なところから見直そうとしているため、なかなか絵に手をつけようという気が起きない状態になっていたのです。
そういうときは文章を書いて、絵を描けないのはなぜなのか分析してみる。苦手な絵の領域で分析を進めようとせず、得意で自由に書ける文章の中で考えていきます。
絵に関して、昔は生活の中心に来ていたのですが、いまはそうなっていません。なぜかというと、日常生活で私たちは「言葉」で意思疎通をしているからです。絵ではありません。絵がなくてもコミュニケーションは成り立ちます。なので言葉をもとにして、考えを巡らせたり、他人とコミュニケーションしています。そのため「言語」が大事で、そこが狂うとすべてがおかしくなってくるのですね。
ところが僕の場合だけかもしれませんが、絵を描いていると、言葉が乱れてくるのです。言語がおかしな方向に引っ張られていくといいますか、言葉遣いが乱暴になったり、言語をてきとうに扱ったり、軽く扱ったりするようになってしまうのです。もちろん絵は素晴らしい表現手段であり利点もたくさんあるのですが、普遍性は言語ほどない。絵を一切描かずに言葉だけを交わし合って生活していくことが十分可能だからです。
絵は交換して意思疎通することはできても、描くのに時間はかかるし、言葉よりも複雑で難しいのですね。なので言語を利用していく=小説やゲーム制作の方に自然と創作の方向性が傾いていく。それも、ある種仕方がない。絵はプロの絵師に依頼して有償で描いてもらってもいいですし、ぶっちゃけ描かなくても表現はできます。だから本当に必要なときだけ描けばいいのであって、いつも描いていて言葉遣いがおかしくなったり、荒々しくなったりすると思考までおかしくなってきて、日常生活に支障が出てくるので、損害が大きいのです。
言葉遣いを乱さないで絵が描ければいいのですが、自分の場合、その方法論はまだ習得するのに時間がかかります。そのため言語ベースに活動(小説やブログ執筆、ゲ制など)をしながら、その折に触れてマンガを描いたりイラストを描いたりして絵に触れていく、そういう優先順位がつきますね。マンガはまだ筋があるので、絵と小説が混ざったような感じの表現物ですが、それでも成人向けマンガなどになると、「絵」が強くなってきます。なので、そういうのを描きたいときは小説を書いたり、文章制作をしてよくよく意味を追っかけながら、その合間に絵の表現していく。決して言葉を乱雑に取り扱ったり、意味を取り違えたりすることが多くなっていってはいけない。そうなるとその場所から思考がおかしくなってきて、生活が狂っていく原因になるのですね。
絵を描くときでも、「意味」の中で、言葉で分析する。絵の中で考えない。言葉を適切なところで使用するところから、適切な思考が生まれ、正確な考えが生まれてくる。そしてそのまま日常生活を生きていける。
他の絵の上手い人がどのように思考をしているのか、絵師の方の頭の中身はわかりませんが、自分の場合は、まず絵ばかりかいていると言語がおかしくなる。そしてその言葉をもとにして思考している「思考」が目詰まりをおこす。そして「考え」をもとにして生きていく生活そのものが狂っていく。こういう凋落のフローをとっていきます。なので絵に関しては慎重にならざるを得ないのですね。8年ほど活動してきて知らされるのは、「絵を描くのはいろいろな意味で難しいな」ということです。
実践面では、文章を大量に書きながら、「時間を決めて」絵を描いていく。そういう流れになっていきますね。比率的に一枚絵を描くのに、難しいものだと15000字くらい書く必要がある・・・。絵:文章=1:15くらいの割合と自覚しています。

積みゲーの本数:60本(変化なし)

→引き続きソウルハッカーズ2を少しずつ進めています。今年もスターオーシャン2のリメイクやペルソナ5の新作、バテンカイトス1&2のSwitch版、イース10など、買いたいゲームが出てきています。日課としてゲームに触れ続け、誰も見ていなくても確実に1本1本名作を消化していきたいと思います。