闊達行雲の日記&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

RPG進捗状況⑨

引き続き、RPG制作を続けています。

キャラの作画

物語が中盤にさしかかり、登場キャラのキャラ像を本格的に固めたくなり、作画を行っています。いまのところアクター4キャラ、敵1キャラ分の作画が必要です。現状で完成度はアクター2キャラです。残りをコツコツ仕上げていきたいと思います。

 

 

現在の戦闘シーンがこちら。画面解像度を1280×720に変更し、行動順序表示がスマホ版のタップアイコンと重なるといけないので左側に移したものです。キャラで作画したものはその画像をあてがっています。やはりキャラ画像を自作したものにするといいですね😊臨場感や、ゲームへの没入感があがります。

 

 

ステータス画面です。キャラの立ち絵をいれるのは理想だったので、なかなかいい感じにまとまってきたなと感じています。作画は2~3日で一人分を仕上げるようなペースで描いています。描いている間はゲ制ができず、ストーリーを先に進められないのでもどかしいですが、自作の作画を取り込むとクオリティやオリジナリティがグンと飛躍的にあがります。
またそれに加えて、イベントの一枚絵を仕上げて追加すると、これまた作品の独自性があがるので、作画は大変で眠たくもなりますが、頑張りたいと思います。

イベントシーンの会話場面に立ち絵を表示する

全てのイベントではありませんが、重要なイベントシーンに立ち絵を表示させ、臨場感を高めようという工夫を行っています。また絵を描く工程が増えるのですが、他のイベントとは違う重要シーンで物語の中盤の山場にさしかかっていることもあり、取り組んでみようかなと思っています。総じて現在の難所は、制作の中で起こる一枚絵や立ち絵の作画を多くしないといけなくなり、ツクールMZのエディタに触る時間が減ってしまうことにあります。
とはいえ、ゲーム制作の一工程である事には間違いなく、絵も上達するし、ゲームのクオリティもあがるので、エディタに触れず、本筋のストーリーをす進められずもどかしいですが、踏ん張りどころだと思って、気合いを入れ直して制作に当たりたいと思います。

絵に関する失敗談ー間違ったロールモデルを設定する

絵に関しては手クセや思考のクセなどいらないものがたくさん付属していることは前回の記事で述べました。それに加えて、今ひとつ気づくのが、「間違った憧れや誤った目標像、ロールモデルを設定してしまうこと」に対する弊害です。自分が10年以上も絵に取り組んでいるのに上達しないのはなぜなのか。最近、そのことが気になってきています。まがいなりにも最近絵をよく描いてきていること、また上達の実感が少しなりともあることが関係しているでしょう。最近うまくなってきて、絵に対する自由度が上がってきている。また現実生活の中での幸福感もあがってきている。
そうしたときに振り返ってみて、なぜ10年間描いてきたにもかかわらず、作画があまり向上せず、絵の中での自由度を感じられないのか。また自分がそこそこの年齢になり、若い人が増えて来る中で、自分より経験も知識も少ない人が、なぜ自分よりも自由に上手く絵が描けているのか。そのことが気になってきたからだとおもわれます。
それらのことを振り返ってみると、大きいのが間違ったロールモデル(目標、憧れになる人)を設定することです。間違った描き方をしていたり、おかしなことを吹聴している人を目標としてしまうと、おかしな方向、手クセ、思考のクセに誘導されていってしまい、どんどん目指すべき方向がズレて行ってしまいます。自分は憧れることを大事にしていて、「あの人みたいになりたい」という感情を大事にしている人です。しかしながら、間違ったものを掴んでしまうと、おかしな方向にどんどん進んで行ってしまうことになる。
だから大事なことは憧れる前に、十分その人が信用に足るか、あこがれて問題のない人なのか、精査することです。憧れの強い人ほど、注意して自分の理性で「この人本当に大丈夫なんだろうか」と見極める“主体的判断”が大事になってきます。自分の理性を信頼し、理性的に考えることを手放さない。“自分を見失う”ということが、実は、最も危険なことなのです。
最近そのことが身につまされて知らされてきたので、絵に関しては、いったん今までの思い込みや知識を全て捨てて、上手くなるためにできることは何でもやる、向上するために思い込みや思考のクセを全て捨てて、作画に臨んでいます。不要なこだわりやペン入れのクセ、「こうでないといけない」という偏ったプライド、そういうものは、生きていようが死んでいようが、どうでもよい。間違った目標、ロールモデルが教えた「こうでないといけない」という間違った戒律みたいなものを鮮やかに捨て去って、こだわりを全て捨てていく。そうすると徐々に、絵の中で自由を感じられる度合いが増えてきて、スムーズに・気楽に作画できるようになりました。
まとめてみると、自分がこの10年間、絵で迷いに迷ってきたのは、“自分”を見失って、思春期のおかしな手クセや思考のクセ、執着にかじりついていたから、というのが一つ。もう一つは、自己を見失って、間違ったおかしな目標や絵の描き方をかかげている人を手本としてしまったから。この二つです。
そして改善点としては、クセは簡単にはとれないので、絵にかける時間を決めて、時間を絞って作画していく。余った時間はゲ制や、できるかぎり「文章を書く時間」に充てる。自分が比較的自由に過ごすことのできる、「文章制作」に時間を優先的に投入していく。それが大事かなと感じました。
似たようなクセをお持ちの方は、ここに大きな失敗をして10年間以上遠回りをしてきた人間がいますので、同じ轍を踏まないように気をつけてみてください。