闊達行雲の日記&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

RPG進捗状況㉓

引き続き、RPG制作に精を出して進んでいます。

タイトル絵、作画中→体験版の配信

タイトル絵を完成に向けて、一つ一つ描き込みをしていっています。体験版はそのタイトル絵ができあがった後、説明書(read me)を作成し、各種DLサイトさんに申請し審査後、配信開始となります。体験版はもう2回くらいテストプレイをしたいので、8月に入ってからの配信になるかもしれません。その際はまたブログやTwitterでお知らせしたいと思います。
タイトル絵は結局、1週間かかっても完成せず、2週間以上かかっています。まあタイトルになる重要な絵なので、構図の変更やロゴを入れた際のイメージ、ロゴの場所をどうするか、OPコマンド(ニューゲーム、コンティニューなど)をどの位置に入れるかなどいろいろと考えました。
ただ多く描き込みをすればいいというものでもなく、多くのRPGスマホゲーのOP画像を調べてみると、けっこう「余白」があったり、キャラ画像がないもの(風景だけ)もありました。それでも物語やゲームをした感じ違和感のないように仕上がっているような感じがします。これまでは、ただ「描き込めばいいんだ!」という認識しかなかったので、バランスが大事なんだなということを思い知らされました。
そこでオーガの絵を削り、序盤で仲間になるキャラを中心に、OP画像を固めました。オーガは物語上重要な敵キャラではあるものの、オーガだけが敵ではないため、OPをそれで固めてしまうと困るなあという懸念もあったのでこの点はちょうどよかったのです。加えてOPコマンドの配置の件もあり、レイアウトはこのように変化することになりました。またロゴも「スキマ」で依頼しようと考えているのですが、ネットのロゴメーカーを使用したところまずまずの仕上がりになったので、依頼するかどうか悩みどころではあります。この辺は体験版を配信してみて、その反応を見ながら検討してもよいかなと思っています。
現状、仮塗り段階の絵をタイトルに置いていますが、なかなかよい出来になっているなと感じます。説明書(read me)を大体作り終えたので、いまはテストプレイと細かいバグ潰しを中心に作業を進めています。それが終わればあとはタイトル絵を完成させれば、体験版の配信ができることになります、

「厚塗り方式」の塗りをメインにし、極めていく

今回の絵について、仮塗りの段階で気がついたことがあります。影の色を、単色、同じ色で塗っていかないといけないという考えがあったのですが、今回塗り込む段階でレイヤー枚数を少なくして、できるかぎり一枚のレイヤー内に重層的に塗っていくというようにしたところ、影がけっこういい感じで塗れたのです。いつもはアニメ塗りの塗り方に縛られていたというか、肌の影レイヤーを作って、それを「同じ色」で塗りつぶして、あとで色調補正をするという方法論でした。ですが今回、レイヤー枚数を減らして、できる限りアナログのように一枚の画用紙に色を単一に塗り込んでいく感じにしたところ、塗りのテンションがあがり最後までよどみなく描いていくことができたのです。できるだけ暗めに塗っていって、最後に発光レイヤーで明るく色を抜くようにすると、いい感じで光の表現が出来ます。
デジタルではこういうようにレイヤーを統合して、塗りを重ねながら塗っていく方法論を「厚塗り」といいます。技法的にはアニメ塗りよりも難しくなりますが、こっちのほうが塗りの楽しみを感じるし、最後まで塗れてテンションも上がり、仕上がりもいい感じに見えるように思います。仮塗りの段階から使用できるので、この塗り方を極めていくのがよいなと思っています。
絵でテンションが落ちる原因になっていたのが、「レイヤー」という“概念”で、それを「複数に分けて作画しないといけない!」と思っていると、どんどんアナログで描く感覚から離れていくのですね。できるだけ一枚の絵の中に色をまとめていって、レイヤーを分けても最終的には一枚に統合してしまう。そしてアナログに近い感覚で光や影を調整していき、絵を完成させていく。この方法論がアナログでけっこうな量を描いてきた、そして「絵が褒められたとき=美術の時間でアナログで描いていたとき」という経験をしてきた、自分の皮膚感覚とも食い違いが少なく、楽しんで作画でき、向上する余地もある方法論かなと思いました。
これまでにもRPGやマンガの表紙を描いてきましたが、振り返って、この塗り方で色の塗りを統一して、もう一度塗り直してみるのも面白いなと思いました。

塗りが止まってしまうとき→休むべきとき、解析する必要があるとき

ここ数日、文章を書く気にはなるのですが、清書に入る前にどうも「塗り」が進まないということがありました。そういうときは、意識的には先に絵を描こうと思っていても、“無意識的に”に文章で心境を分析する必要性がある時なので、そちらを優先し分析の時間に充てる。心境を解析して、無意識の中から先に進むための答えを見つけ出す機会だと思っています。
こういうとき無理矢理先に進めても、だいたいは絵が雑になったりして効果は逆になるもの。また自覚のないところで疲労感が溜まっている場合もあります。
先に進みたい気持ちもありますが、絵を中心に描いていると、文章的に分析したい気持ちが山ほどわいてくるのですね。なので時間はかかっても、描きたい気持ちが復活してくるまで文章作成も創作の一部分だと自覚して、書いていきたいと思います。

間違った「憧れ」や目標に対する執着を捨てることで、先に進むことができる

Twitterでもまとめましたが、大事だと思うことなので、繰り返しになりますがこちらでも再掲したいと思います。
向上心の強い人、憧れや師(ロールモデル)を持ちたいと思っている人ほど、ある種の注意が必要になってきます。
「憧れる」前に、尊敬する前に、憧れて問題の無い人か、尊敬に値する行動をとっているのか、本当に全面的に信じて大丈夫なのか、よくよく吟味することが大事です。
間違った憧れをもってしまうと、その方向にどれだけ努力しても、自分が望んでいる方向へはたどり着けません。全く逆の方向へ行ってしまうこともあり得る。だから師と尊敬したり、憧れるべき人をよく選んでいく必要があります。
おかしいなと思ったら、すみやかにそこにこだわる気持ちを捨て、とらわれる心を捨てて、そこから離れるといい。そして「自分がやっていて楽しいと思うこと・喜びを感じること・自分の好きなこと」をやっていくのがよいと思います。
そうやって自分の感情に目を向けて、人の権利を害さない範囲で「したいこと・やりたいこと・好きなこと・喜び楽しさを感じること」をしているうちに、自分の感情や感覚を信じていていいんだという自信がでてきて、他人に対して無用な憧れを持つ必要がなくなってきます。
「自己肯定感」というやつでしょうか。
10年ほど前からユーチューバーが「好きなことで生きていく」という言葉を言って、いまでもそこそこ流通していますが、全面的には無理でもそういう自分の“好き”を大事にしていくということです。
自分の感情に目を向けて、人に迷惑をかけない範囲で楽しみや喜び、やりがいを感じることを習慣としてやっていく。そうすると、間違った無用な憧れや悪い師をもたなくても、自分の足でまっすぐ歩いていくことできるようになります。
間違った「憧れ」や目標に対する執着を捨てること。そして自分の好きなこと、喜びを感じることにフォーカスをあてて進んでいくこと。そういう習慣をつけていくと、「自信」は自然とついてきます。
憧れや先生をもちたい心が強ければ強いほど、気をつける必要がある。間違った目標に執着し心がとらわれると、努力をすればするほど間違った方向に大きく踏み出すことになり、無駄な努力をするハメになってしまい、目指すべき本来の目的地から遠く離れてしまうことがある・・・。そういうことが人生にはあるのだ、ということを知っておいていただきたいと思います。

積みゲーの本数:60本

変化なしです。休みの日に少しだけソウルハッカーズ2をプレイしました。