闊達行雲の日記&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

活動前期(2010年代)を振り返って①

 

こんにちわ。闊達行雲です。 

 

今回は改名前、2010年代の活動を振り返って、自分の活動を総括しておこうと思います。当時のブログを読み直してみて、いまの自分との差異や、逆に一貫しているところもあるので、その観点から、当時の活動をまとめておこうと思います。すべてをそのまままとめるのではなく、現在の立ち位置から当時を振り返り、できていなかったところ、いまと一貫しているところを中心にまとめていきます。

 

 

・初期の頃を振り返って

プロフィールにも書きましたが、けっこう前の2010年から活動を開始しています。

もうそんなに時間経ってしまったのですねえ。14年も経ってしまいました。浦島太郎的な感じもしますが(そんなことはない)、ネットが出てきてPCも「IT革命」とかいってWindowsPCが広くいきわたり(Mac使いの方はけっこうたくさんいたのではないでしょうか)、ネットの回線速度もADSLから光回線のほうにシフトし、速度もまあまあ出てくるような時代でした。当時ネットの出現によって、コミケに行かなくても同人誌が買える時代になり一人ほくそ笑んでいた自分は、同人グッズをとらのあなやメロンブックスで集めながら、それらを発行しているクリエイターに憧れを募らせていました。そしていつか自分の作品(単行本)を出して、書店に並べてもらうぞ、そんな絵描きになるぞとひそかに心のどこかで思っていました。言葉で書くと明確に認識していた欲求のように感じますが、それはまだどこか薄ぼんやりとした感情の波の向こう岸にある感覚で、明確な認識はなく、その後ずいぶんとその思いの残骸に悩まされることになります(後で詳しく述べます)。

さて、そういう感じのテンションで暮らしていたときに、DLsiteというDL同人の販売サイトをみつけます。いまでは当たり前のように存在していますが、当時はDMM(現:FANZA)と並んで、DL同人という言葉もなかった時代で、ネットで電子書籍を販売するという文化は、まだまだ緒に就いたばかりでした。そういうサイトをみつけたのが一つですね。

もう一つは、マンガのPCでの作成ソフトの普及ですね。こちらの記事でも紹介しましたが、コミスタ3.0が僕の大学生くらいのころから出始め、2010年当時はそのver4.0がでていました(Photoshopや、SAIという描画ソフトも有力でした)。当時としてはPCでマンガ描けるということ自体が画期的で、文具屋にいってスクリーントーンやペン先、インク、原稿用紙などを購入して描くという文化(いわゆるアナログ作画)が、まだまだ残存していたこともあって、とても魅力的に見えました。そこで知人に聞いたりしてどうにかソフトを購入し、描いていくことになります。途中で4.0のEXにバージョンアップし、複数ページの管理ができるようにしながら、はじめて商用のマンガを描き始めることになります。

当時は漠然とした人生観で、大学を出て社会人にはなったものの、社会の中で自分を生かす術がよくわからず、大学で臨床心理学を専攻しましたが、自分の心のことも、実際はよく分かっていませんでした。そして「絵が描きたいな、絵だけで食べていけるようになれれば最高だな」とぼんやりと思いながら、ちまちまと時間を見つけては描いていました。

そういうバックグラウンドがあります。

・自分に影響を与えた作品

自分が表現を志し、はじめた作品を出しブログを開始するのが2010年の6月ですが、そこにいたるまでどのような作品に影響を受けてきたのか、振り返っておこうと思います。

 

どんな作品かしら。これまでにいろいろなゲームやアニメ、マンガがあったけれど・・・。 

 

まず中学校や高校時代に遡ります。部活動の合間に夢中になって読んでいたのが、当時の週刊少年ジャンプでした。当時のジャンプは、発行部数が歴代一位になる黄金時代(1995年)で、幽遊白書、スラムダンク、るろうに剣心、ドラゴンボール、バスタード、I'Sなどなど錚々たるビックタイトルが週刊連載されている、まさにゴールデンエイジでした。いまでも伝説として語り継がれる作品群で、とても影響を受けましたね。大学ノートに模写したりして、マンガを描き始めたのもこの頃だったと思います。面白いマンガが、マンガとして週刊ごとに毎週読める・・・。そのような体験を中学生の頃に持っています。その点が一つ。

もう一つは何と言っても「新世紀エヴァンゲリオン」ですね。

僕が当時中学3年生ごろに放映開始され、当時主人公の碇シンジと同じ15歳でした。綾波レイの存在感、半端なかったです。のちの無表情系のキャラの原型になっていきましたし、深夜アニメを開拓した、超画期的アニメでした。ほかにも惣流アスカラングレーとか、葛城ミサトさんとかいろんなキャラいましたけど、印象に残っているのはダントツでこの二人です。またエヴァの絵、ファンアートで描きたいですね。

高校生になったときに劇場版の「Air/まごころを君に」が上映され、映画館に友達とはじめて見に行ったこともよく覚えています。そしてその後に、はじめて街にあるアニメイトに行き、なけなしのお金で「何か買わないといけない」というようなわけのわからない熱気と義務感(みたいなもの)に駆られて、エヴァの設定資料集を購入したことも、いまでも鮮明に覚えています。

衝撃的なストーリー、革新的なキャラデザ、当時の時代感をまるごと代弁するような緊迫した展開、突然バタッと終わる劇場版、なんだかよくわからないけど大団円を迎え、終わりなき日常へとループしていく、パンを加えて走ってくる綾波にぶつかるシンちゃんなど、わかりそうでわからない、物語そのものがミステリーといえそうな、様々な「謎」を残して、四季のなくなった終わらない夏を駆け抜けていく。あらゆる点で時代を象徴する作品だと思います。

その作品のもつポテンシャルから、様々な派生作品を生み出し、同人市場に置いてはほとんど尽きることないといってもいい類型作品を生み出し、90年代~00年代~10年代を経てアニメ空間のみならず、日本のエンタメ空間に大きな影響を与えました。その後21年のシン・エヴァによって一応の完結がみられ、100億円を超える大ヒット。自分の中でもケリがついたような作品にはなりましたが、この作品が僕の創作空間に多大な影響を与え、こんな作品を、同じ作品とはいいませんが、なにか表現がしたい。アニメ空間で表現がしてみたいと根源的なところで思わせてくれた、忘れられない中高生時代のティーンエイジドリームでした。

大きくこのような二つの作品群に影響を受けていると思います。

・初めての作品ー『エロスの涙』的な何か

アナログや、シャーペンでアイシーの原稿用紙に描いた作品をコミスタでデジタル化したりもしていましたね。最近その原稿を処分しましたが、いま見ても、そういう時の原稿は勢いがあって、初期の頃の情動がよみがえってくる思いがします。

そうして描いているうちに、徐々に作品が形になってきて、最後まで描ききることができました。そこで作品を発表できる素地が整い、DLsiteではじめて作品を発表することになります。懐かしいですね。

「ネットは広大だわ・・・」という、攻殻機動隊の少佐のセリフがありますが、ブログやTwitterなどを、ほとんどまったくやってこなかったといっていい自分が、ネットの海にこぎ出すように、世界に向けて受信者から発信者に転換する・・・。その一番初めの瞬間でした。

当時、DLsiteでは作品を販売するとDLsiteブログというライブドアブログのシステムを具備したサービスが使えるようになっていたので、作品販売と同時に作品紹介や、イラストを紹介するサイトとしてブログを使用していこうという気運が盛り上がり、ブログも開始していくことになります。Webはインタラクティブな、受け手が受け手にとどまらず発信者にもなれる。そういう双方向性が特徴ですが、いままで受信者のみの体験、同人誌や音楽、マンガなどを受け取るだけの人だった自分が、やがて発信者にもなれる。自分で絵を描き、文章を書いて、作品紹介やイラストの紹介をできる。そういう風な存在になることができた瞬間でした。

当時は、まだまだアナログ文化というか、人に作品を見せるというのは、コミケや絵描きや絵の好きな友人知人に見せていく、という空気がまだまだ残っていた時代です。そういった時代に、人に作品を見せることができる、多くの人に描き手としての自分を知ってもらうことが可能になる・・・。そういうのはとても新鮮に感じました。

いまはX(Twitter)をはじめとして、YouTube、TikTok、インスタ、Facebookなどなど、ネット上で自分の作品や文章、つぶやきを表現するサービスは百花繚乱ですが、当時はブログやpixivがメインで、やっている人もまだまだ人口は少なく、ネットよりもTVが力を持っていました。それが、いまはネットがとても力を持ち、サッカーの中継などでもDAZNなどが独占配信したりして、XのつぶやきをTVに中継するサービスなども当たり前のように見られるようになってきましたよね。

当時の自分は、とても恥ずかしがりで、人に絵を見せる・文章を見せるということをとても恥ずかしがっていました。たまにテンションがあがったときなどにチラ見せしていく、そういうテンションの人でした。

そして「絵で食っていけるのかどうなのか、これから社会の中でどうやって自分を活かしていったらいいのか」わからなかった。「君たちはどう生きるか」というジブリ映画が米国の賞を受賞したとかで有名ですが、どう自分の中にある表現欲求、同人への思い、絵(文章→小説も)に対する気持ちを活かして生きていけばいいのか。まさに、どう生きていけばいいかわからず、先の見えない不安も大きく抱えていたと思います。

ジョルジュ・バタイユに『エロスの涙』、という本がありますが、自分の中のエロス(喜び)に向かう気持ち、その絞り汁を濃縮して、涙のように数滴こぼれでたものを結晶化して、やっと一作書いた・・・。そのような状態だったでしょうか。さまざまな不安を抱えながら、それでも自分の中に核としてある、表現に向かう情動を活かし、すくい上げる。それはネットというミームの中ではじめて可能になった。まずこの時点では、そういうことを申し上げておきたいと思います。

 

(続く)