闊達行雲のお絵かき&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

活動前期(2010年代)を振り返って③



 

こんにちわ、闊達行雲です。

 

前回までは、おもに心理面での自分の初期の混乱・混迷の時期にあたる期間を分析しました。同じ悩みをもっておられる方の参考になればと思います。繰り返しますが、創作活動について僕の活動に関心があり、相談したいことがある場合はコメント欄やお問い合わせフォームから連絡をいただければ対応いたしますので、よろしくお願いいたします。

 

お一人で悩まず、誰かに文章でもいいので話してみることでラクになりますわ。 

おかしなものを掴むよりはズッとマシなはずだ。何かあったら遠慮なくコメントや問い合わせしてくれよな!

 

さて活動の前期(2010~2015年)は、混乱・混迷な時期が続きました。それはそのまま、僕が学生時代から持ち越してきたものを消化できていないことの表れでもありました。

そのとき掴んでいた思想が、考え方が、目標がおかしなものだったということが一番大きい。そこには自分の中にある葛藤、これでいいのか、こういうことを表現してもいいのかという悩みがあった。そういう感情を受け止め、理解を促してくれるメンター(指導者・助言者)みたいな存在を探していましたが、そういう存在はどこにもいなかったのですね。

そうした中で苦しみや憂鬱・悩みの中で、そういうものをぶち破って、先に大きく踏み出していく。自分の殻を破って、先に進む。その過渡期に当たるのが、大きく前期の、2010~2015年までくらいの僕の活動でした。

 

・2012年に処女作のリメイク発表

さて話を本筋に戻しまして、年代の順を追って、自分史を振り返っていきます。2010年に作品を発表するのですが、さすがに下手だなという自覚がありました。そして活動していく中でブログにイラストを載せていくのですが、pixivで一度だけランキングにのったことがあるものの、その後は特に音沙汰もなく、周囲の作家と比べて自分はスキルが未熟だな、思うように描けないなという時期が続きました。そうしていく中、2年ほど練習をしていく中で、コミスタの使用方法にも慣れ、カラーイラストの描き方にも少し慣れてきたので、改めて描きなおしたいという欲求に駆られていくことになります。そして2012年に処女作のリメイクを出すことになりました。半年ほどかけて作品制作に取り組み、発売します。第一作はいままでで一番売れた作品ですね。本数自体は全然大したことはありませんが。

この後、制作をしてCG集の案なども練っていきますが、結局前期の商用作品はこの一作のみとなりました。

僕にとってはそれ以上にブログが大事でした。ブログでなら語れる。というか、絵を描いていると文章を書かずにおれなくなってきた。そういう点から言うと、いわゆるブロガーが向いていたのでしょうね。もっと突っ込んで本格的にアフィリエイトなども駆使しながらやっていけばよかったですね。そしてそこから収益を得られるような仕組みを構築できていけばよかったと、いまから思うと思います。

初期の頃は、とくに絵よりも、文章にカギがあった。なので、心の向きを入れ替えて小説を書いていれればなあ~と思いますね。一本でもいいので気合いを入れて腰を据えて書いてみると、分かってくることがたくさんあります。自分の場合は2022年になるまで、10年近く書けませんでした。絵の方に目が向いていて、文章作品を書くことにはどうしても目が向かないし、面白みも感じなかったのですね。そういう振り返りがあります。

ともあれ、自然と文章の方に傾向性は傾いていって、ブログの方に文章を大量に書いていく時間になります。ときには作品制作はそっちのけで、好きなアニメ・マンガ・ゲーム・音楽の紹介をやっていく。その隙間にイラストを描いていく。そういう時間を過ごしていました。

一人暮らしも経験し、大学時代は実家通いだったのですが、自炊や洗濯、掃除も全部自分でやりながら、制作とブログに取り組む。そういう季節でした。その一人暮らしは大きかったですね。実家暮らしで悶々としていた心が、解放されたような気持ちになりました。そこで、3年ほどじりじりやりながら、制作を継続していくことになります。

絵の方も、描き方で一度自分の絵をプリンターで出してみてモニターの色味のおかしさに気づき、少し高かったですが、いまでもサブで使用しているEIZOのモニターを購入したところかなりよくなり、描き方も洗練されてきて、少しずつですがスキルアップしてきました。

・一時的に活動休止

しかしながら、そのうちに制作が行き詰まっていき、一時的に活動を止めないといけなくなりました。

当時の活動を思い出すと、なんというか、「自分」ってものが軽くって、外にばかり目が向いていました。

もっと自分を大切にしないといけないのに、全然そこに目が向いていない。特にクオリティとか質が大事とか、そういう“夢物語”ばかり語っていましたね。そこにやりきれない空しさを感じます。「楽しく描く」とか「ある程度の完成のラインを見極めて、そこそこのものでいいので、とりあえず作品を出す」とか、そういう折衷案をとって現実との折り合いをつけながら、描く。そうすればいいのに、理想にばかり縛られている。“ユメ”ばかり語って、現実に全然目が向いていない。

地に足のついていない活動をしないといけないと当時しきりに思っていましたが、その通り。力を込めて描く、精魂込めて描くのはもちろん大事ですが、結局クオリティ云々を判断するのは、お金を払って購入するお客さんなんですよね。そういうのがてんで分かってない。自分のことばっかり語ってないで、もっと買ってくれるお客さん、ブログなら読んでくれる読者のことを考えろよ。そう言いたくなります。ただ自分の自我理想ばっかり語っている。自意識過剰で、青臭くて、無力感まみれで、ただただ恥ずかしい。それだけですね・・・。

・休止中のあれこれ

その後、表だった活動はなくなり勤めながら描いていたわけですが、人間関係のストレスや、ほかにも種々様々な要因が重なり、病気になり、長期離脱をせざるを得なくなってしまいました。この辺の事情も以前Ci-enで書きましたので、その部分を引用したいと思います。

ちょうど音信不通になり、活動停止していた時の自分はどうしていたのか、という疑問があると思います。その間のとある時期に、「病気」になっていました。その療養ということがあり、2019年には悪化して入院するなどけっこうひどくなっていた時期もあり、長く創作の活動を停止しないといけないような感じになっていました。完治するものではなく、寛解までしかいかないような病気で、後遺症は残ります。詳細な病名は伏せますが、寛解までいくのに数年かかるというような、けっこう重めの病気です。
いまはそのリハビリという感じで、この活動もその中でできることをやっているという感じになっています。Twitterやこのブログなども、何事もなかったかのように書いているなという印象があるかもしれませんが、実はそのようなことがあったのです。その間病院スタッフの方や、家族、そして主治医の先生などいろいろな方のお世話になり、現状少しずつ寛解に向けて動き出しているという感じです。いま、病気にかかっているということを孤独で不安で独りぼっちだと思われるかもしれませんが、決してそういうことはない。アラフォーにでもなれば、人生のいろいろな出来事を通過し、人生の機微というものを味わっていくものなのでしょう。自分のような病気ではなくても、生活習慣病や持病などの病と闘っている人もあります。そうしながら、家族などとともに協力しその病と付き合いながら、自分の生を送っている。人間が生きている限り必ず遭遇する苦しみ「生・老・病・死」を仏教では四苦といいますが、その中に“病”=病いとあります。老い、病気、死という人生の苦しみの一つです。自分にも大きなものが来たなと、痛切に実感している毎日です。

・そして、現在へ・・・

いまは服薬で症状の方は大分改善され、病院も2ヶ月に一度の外来で事足りています。なんとかおさまってきたかなという実感ですが、後遺症は残り、寛解まではもう少し時間がかかるという現状ですね。何でもかんでもうまくはいかないものですね。

ところで仏教に転悪成善(てんあくじょうぜん)という言葉があります。悪が転じて善となる、悩み・苦しみがそのまま幸福、幸せに転じるという意味ですね。前期にあった悩みの多くが、この病気を起点として、それを大きなバックグラウンドにしながら、展開されていた・・。そのような気づきがありました。そして、病気になることで、自分のことがよく、深く、分かるようになりました。トゲのように自分の心に突きささっていた悩み・苦しみが、太陽の日差しにあった雪のように溶けていく部分がありました。自我の悩みが煮詰まって、どうにもならなくなって、にっちもさっちもいかなくなって、病気になり、人生の“底”を体験しました。そこからすべてが分かるように、いろいろな問題がスルスルと解けていって、ほどけていって、ラクになっていきました。苦しみを与えたものには必ず、その報いがある。焦る必要はないのだ。因縁が熟すれば、必ず目に見える結果となってその人のもとにかえるのですね。それがこの世の道理。運命のカラクリなのです。

仏教、特に浄土真宗では、計らい(自力)を捨てて、他力(阿弥陀の願力)にうちまかせることが救いのキーになっていますが、計らい尽きて、仏さまにはからわれていたかのように思うときがあるのですね。何をしていても、仏の教えを求めている人は、苦しいことがあっても辛いこともすべて、幸せにつながっている。そういう思想が仏法にはあります。なんというか深いところで、ブッダの教えにはからわれている、そういう感慨がありますね。

ともあれ、体験したことは自分の経験なので、それをよく識った上で、自分のできることをとことん・徹底してやっていこう。そう思っています。

こういう心境になりながら少しずつ活動を再開していき、2020年ごろからRPGを作りたくなり、ゲ制をはじめていきます。それが21年の10月頃に完成しましたので、発表(「ソードクレスト:剣の紋章」)。そしておもにCi-enで活動を開始。そして翌年の22年の10月にこちらのはてなブログを開始する運びとなり、現在にいたります。

 

いろいろあっての現在なんだな。 

・まとめ

自分は学生時代からかかえているものがすごく大きく、ずいぶんと苦労をしながら、重い荷物を背負いながらのスタートだったのだなと書いていて知らされます。しかし、苦労して種を蒔いた分、結果はその人の下に遅かれ早かれ返ってきます。抱えていたものの大きさ故に、なかなか作品制作というよりは、ブログ中心の活動になりましたが、それには十二分な原因があったのです。それはそれでいい。そのまま、そのことを認めていくだけです。そしていまもブログを書きたい気持ちはとても強いですが、ありがたいことに、こちらのはてなブログはそこそこな数の読者が訪問してくれるブログになっています。一貫して続いている「文章で自分の心境を語りたい」という気持ちに従って、今後も文章多めのブログにはなりますが、「それでいいんだ」と言ってくださる読者の方とともに、進んでいきたいと思います。またアフィリエイトやGoogleアドセンスなども導入し、ブログ自体の収益化をはかれるように、努力していきたいと思います。

そして前期から課題であった作品制作も、年に2作以上の発表を大きな目標として、日々精進していきたいと思います。

おおまかに、これが前期(2010~2015年ごろまで)の自分の詳しい来歴になります。

「如来の奴隷となれ、其他のものゝ奴隷となること勿れ。」(清沢満之)

ブッダの教えを信奉しながら、今後も自分らしい活動をしていければと思います。

 

最後まで読んでくれてありがとう! 

 

(了)