闊達行雲のお絵かき&レビュー

イラスト、小説、ゲームを作っています。

【進路に悩んでいる人に贈る】学問と仕事~僕の通ってきた道~

 

・学生時代は勉強の虫

自分は地元の国立大学を卒業し、2010年にこの創作活動を開始してから今まで活動を継続してきました。途中5~6年お休みをとらざるを得なくなったので、やむなくそうしてきましたが、こころは常に創作活動、そしてブログを書く。そこにありました。今では、YouTubeで話すなどいろいろとやっております。

学生時代のことを振りかえると、勉強ばかりやっていました。特に高校時代は勉強の虫といった感じで、大学が地元の国立以外はダメ、といったテンションの家庭でしたので、がんばりました。勉強ばかりしていた感じですね。おかげで進学校でしたが、400人位いる学年全体の中でも上位にいました。地元の国立には、だいたい50番内くらいにいる必要がありましたので、余裕をもって模試などもB判定くらいをいつも取っている。勉強して、その成績に手応えを感じながら、生活している・・・。そういう人でした。センター試験(今の共通テスト)では大コケして学部を変えざるを得なくなりましたが、変更してみごと現役で合格でき、高校在学中も学内ではそこそこできる方で、過ごしていました。

部活はやっておらず、読書クラブというものにはいっていましたが、ほとんど帰宅部みたいなもので、学校が終わったらすぐに下校して、カレー屋でおいしいカレーを食べる。あるいは、今の「ゲオ」みたいなビデオショップ(僕の時代はまだビデオが出回っていました)に寄って、PS1のFF7やテイルズ オブ デスティニーなどのソフトを物色して回る・・・。そういうようなことをして、電車に揺られ帰宅する。そのようなルーチンを送っていました。

アニメが好きで、エヴァやカウボーイビバップなどのアニメを借りては、みていましたね。また音楽バブルの時期でもあったので、影響されて、好きなCDなどもよく借りていました。いまは街の本屋は大変な不況で、ネットショップにおされてしまって、街のTSUTAYAなども次々と閉店していったりしていますが、僕の学生時代は、その黎明期にあたるような感じで、エンタメの盛り上がりに呼応するようにして、雨後の竹の子のごとく、ショップが乱立していく・・・。そういう時期に学生時代を過ごしました。勉強には自負心をもっていて、いまはほとんど付き合いもありませんが、同じ時期に合格した友人・知人とは、仲良くしていました。

・社会に出て長い迷走・停滞期に入る

ところが、いま姪っ子の様子を見ていてもよくわかりますが、学生時代の体験など社会にでてしまえば、本当に小さなものなのですね。また大学に入れば、高校でどれだけ上位にいようとも、似たような学力レベルの人が集まってきますから、相対化されます。そうすると、その中でまた競争が始まっていくワケです。

自分は大学を卒業するとき臨床心理士(臨床心理学にもとづく知識や技術を用いて、人間の“こころ”の問題にアプローチする“心の専門家”)になりたかったのですが、勉強していくうちに、その仕事は負荷が大きく、収入・仕事両面で、自分の望んでいたものではないことが分かってきました。

どうも思っていたのと違うなと感じる瞬間が増えてきた感じでした。

またサークル活動をがんばっていたということもあって、そっちの方の経験を活かした職業に就こうかな。そういうふうに考えていた時期もありました。

いろいろと迷った結果、結局卒業してもすぐに就職はせず、学部で学んだことをいったん脇に置いて、資格を取って行く道を選ぶことになります。そのことでサークルの後輩から嫌みを言われたこともありました。ところが、面接に合格して就職はしたものの、仕事がまったくあわず数ヶ月で退職。自分のことも社会のことも、その当時、まったく分かっていませんでした。そして長い迷走・停滞期に入っていくことになります。

・「創作へ向かう気持ち」の芽生え

潜在的な要素として大きかったのは、最初にも述べましたが、「創作」へ向かう強い気持ちでした。

小学生の頃から絵を描いていて、本格的に描き始めたのは高校生くらいからですが、それで食っていきたい。その気持ちが、小さな小さな“芽”のような状態で、芽生えていたのですね。大学生の頃には大学ノートにマンガのようなものを描いて、今の活動の原型みたいなものを積み上げていっている感じでしたが、いかんせんサークル活動を忙しくやっていましたので、活動の合間にちょこちょこやるくらいで、集中して描く機会には恵まれませんでした。

その大学時代のことは、まったく別のキャラをたてて、その“意味的なところ”を描こうと、小説を発表して振り返っています。気になる方はご覧ください。

 

 

そういう「創作」、大学を卒業したときはマンガを中心に描いていましたが、それを描き続けて生活していきたい・・・。そういう気持ちが芽生えてきていました。

今から振りかえるとそう思います(当の本人はほとんど無自覚でしたが)。就職・進路にあくせくして、企業面接などに奔走していましたが、時間を見つけてはちまちまと描いている・・・。そんな感じでした。

いまでいう「DL同人」のようなものをやりたかったのですね。

ブログを書き、YouTube動画でしゃべり、そして作品制作をじりじりやりながら生活していく・・・。インターネットで活躍していく。それが僕の、“無意識的な”大きな夢でした。

そのために、世間的な企業に勤めてサラリーマンをやるという気持ち、あるいは親の望む、地元の国立を出て就職して、結婚して・・・という人生のレールの上を歩いて行くことに、深い疑問を感じずにはおれなかったのです。何か表現がしたい・・・。そういう思いをくすぶらせたままで生きていました。

・活動を始めるまで

環境的な要因を探ってみると、DL同人をやるには、時期的に少し“早かった”と思われます。

時代は、「IT革命」とかいって、小泉政権下で家庭用のパソコン(Windows)が普及していくまっただ中。回線速度が電話回線の「ピ・ポ・パ」のISDNから、ADSLなどに変わっていき、徐々に早くなっていく過渡期でした。まだまだスマホもなく、ガラケー(二つ折り携帯)の時代。クリスタ(クリップスタジオ)もない。ペンタブレットも普及していない。やるからには原稿用紙にインクで描いていくしかなかったのですね。

しかし少しやったものの、本格的に描いていくには、僕のスキルは未熟すぎました。気力が全然続かない。スクリーントーンは高い、原稿用紙にも金がかかるということで、荷が重すぎた。マンガのほうも、活動的には大学ノートにシャーペンで描いていくだけ・・・。誰に見せる、ということもない。そのためネットで活動など夢のまた夢。必然的に、現実世界の中でやっていくしかなかったのです。

そこで、就活にトライして失敗しながら日々を過ごしていましたが、卒業後5年ぐらいした頃だったでしょうか。ようやく自分のパソコンも持て、ネット環境も光回線が整備されてそこそこ早くなり、タブレットも購入することができました。そしてコミスタ(コミックスタジオ)も購入し道具はそろってきました。ネットでのイラストレーター、同人作家の活動も活発になり始め、アニメ・ゲームに面白いのが目白押し。そういうのに触発されて、はじめて「ああ、ネットでマンガを描いてみようかな」、そういう気持ちになっていったのですね。

それまでの2006年~2008年ごろまでは、当時流行していたアニメやゲームの同人誌をとらのあなやメロンブックスで購入して喜んでいたのですが、2009年ごろになり、DLsiteにてダウンロード販売でマンガを販売することができる。そのようなことを知ることになります。

「僕もこういう作家(同人作家)みたいに作品を、マンガを描いてみたい。そしていつの日か、単行本が本屋に並ぶようなそんな描き手になってやる」。そう思ってマンガ(成人向け)を描き始めていった。そのような経緯があります。そして1年ほど経って完成し、発表。それが僕の創作活動の最初でした。27歳くらいでした。

・活動開始ー絵を描いているのに、「文章」がたくさん出てくるのに驚く

そうやって作品制作を開始していき、同時にブログも始めるのですが、そのブログが面白く、筆がはかどる。内容は好きなゲームやマンガの紹介など。体としては、イラストや文章をブログに載せて、作画能力向上を図りながら、作品も出していこうという認識だったのですが、「文章で書きたいこと、いわなきゃならないことがたくさんある」。そういうような感覚に掴まれ、長文の文章を、アクセス数の有無などかまわずに、書く。そのような日々を重ねていきました。

今から思うと、僕は作品を通した人間関係に興味がありました。どちらかというとオタク気質で、クラスでも勉強はできるからカーストの最下位ではないけれども、どことなく暗いよね。エヴァが好きで、ゲームとかマンガの話をいつでもどこまでもしている感じの人・・・。そういうような位置づけだったと思います。みんな勉強ができるので、重宝して「ノート見せて」とかは言ってくるけれど、深い話はしたことはありませんでした。

今ではゲームをするタレント、グラドルさんが多く、ゲームはeスポーツという領域まで出てきてすっかりメジャーになりましたが、90年代ではまだまだ一部のオタクの陰湿で暗い趣味・・・・。そのような位置づけだったように思います。それで深い話や作品に関することを話をしたことはほとんどありませんでした。地方のコミケみたいものにちょっと顔を出しただけ。心を開いて現実世界でコミュニケーションを・・・みたいな話は、なかなか心から入ってきませんでした。人間関係は大きな苦悩のもとになるし、悩みを打ち明けても、それほど納得できる答えが返ってこないし、大きく納得させられた経験も無かった。それよりはワンクッションをおいたコミュニケーション、いまでいうネットを介した関係、SNSでの付き合いみたいなものを志向していたと思います。

だから心から相手に向かってまっとうなコミュニケーションをとった経験があまりなかった。それでブログを開始したとき、面食らってしまったのです。話さないといけないことがたくさんある。作品を通して、そのときに、本当に心を開いて話をすることができたのです。好きなアニメ・ゲーム・マンガは山ほどありました。話のネタは、だから、とても多く出てきたのですね。

やはり人間、自分に適した環境が与えられると、水を得た魚のように、なるものです。「作品制作、作品制作・・・」といいながら、やっていることは、大半の時間をブログに費やしていく日々。長文で文章を書き殴っていく。今まで、人に向かって好きなアニメ・ゲームの紹介をしたことがない。それを文章でやる。そしてアクセス数があり、見てもらえることで承認欲求が満たされる。それが楽しかったのですね。

ネットのおもしろいところは、独り言みたいなつぶやきが、あるいは「こんなこと価値があるんだろうか?」という失敗談が、アクセス数やいいね、高評価ボタンによって支えられるということです。たとえば僕はXP-PENのタブレットをよく紹介していますが、失敗談や買わなきゃよかったと思ったもの、結局売り払ってしまったものなどもレビューしています。そういう失敗談がアクセス数を集めたりするのです。失敗談に価値があるのか?と思いますが、「やってよくなかったこと」にも、価値があるのですね。そこから反面教師的に「ああ、こういうことはやっちゃいけないんだな」と学べるからです。

またYouTubeで制作の報告をだらだらしゃべる・・・。「そんなことに価値があるのか?」。そう思いますが、視聴回数が少しはある。見てくれる人がいる、ということです。そして、チャンネル登録や高評価ボタンが押されることもある。その、なんてことはない作業が、「価値」をもつのですね。そしてそこからブログにアクセスがくる。自分の名前を知ってもらえる。視聴者から反応があるのですね。作業が「価値」を持ち、やる気にさせられる・・・。とても励みになっています。

もちろんご存じのように、Xのほうでインプレゾンビが発生しています。話題のツイートに便乗してインプレッションを稼ぎ、収益を上げようとする輩ですね。そんなこともありますが、基本的にいいね、高評価ボタンというのは、TwitterやYouTube発祥のシステムですが、SNSのよい文化だと思っています(そういえば、昔、FC2の拍手ボタンをいたずらされたことがありました。躾のなっていないストーカーみたいな人もいるのですね)。

そういうようにして、多くの文章をつづっていきながら、一作でも多く作品を発表しよう。そう思ってやっていきました。作品発表をするための土台を構築するというか、その制作発表のための場にするためにやっていたのですが、結局、自分語りのほうをよくやっている感じになってしまってましたね。活動前期(2010~2015)で出した作品は、実質1作のみ。あとはずっとブログを書いたり、絵の修行をしたりする・・・。そのような時期でした。長い長い「自分探し」を、ブログを通じて行っていた感じです。

だから作品制作も大事ですが、ブログをもっと伸ばしていって、アフィリエイトも、もっとやっていけばよかった・・・。そう思いますね。ブログに「価値付け」をして、アクセスの集まったところに広告を入れていく。そういうようなことをやればよかった。そうすれば収入面で増えていったはずですが、考えがそこまで及ばない・・・。

それが大事だと自覚するのは、なんと今年(2024年)にはいってからでした。情けない。

ブログを書くのが好きで得意なら、そちらを伸ばしていけばいいのです。ブロガーと名乗って、そこを舞台に作品制作も並行してやっていく・・・。そういう状態に持ち込めばいい。僕にとってはブログもある意味“作品”だったのです。そのことにまったく気づきませんでした。

もちろん締め切りなどを設ける「作品」とは厳密に言うと違っていて、それにハチマキを締めて毎日取り組むというよりは、書きたいときに書いていくという“即時性・即興性”の強いものです。しかしブログにただならぬ情熱を傾けている以上、そこからマネタイズできないか考えるのは自然の流れです。そこをもっと早く気づいていればよかったなと思う。そのような、現在のように達観した状態に早いうちからなれればなと、今からすれば思いますね。

・☆学問と現在の活動の関係

さて、大事な部分です。学問と今の活動の関連性ということについてです。

学歴が少々あるということは、それが足かせになったりもします。確かに職業選択の幅が増えますし、高収入・好待遇の仕事に就けたりもします。

しかし僕が通過してきた中でみてきたものは、その会社に入った中での熾烈な生き残り競争、我の張り合い、知ったかぶり、会社の仲間とはいいながら悪口・陰口のオンパレード・・・とまではいいませんが、醜い生き残り競争をやっているのですね。そこまでして僕は収入や地位にすがりつきたい、「会社での生存競争を生き残るための、サバイバルだ」などという感覚は、さらさらなかった。

そんなことをやっているならば、自分でサークルを作って、企業で上司や会社のいいなりになって働くよりは、自分でルールを作って、自己を駆り立てるようにして、やっていく。そのほうがずっと自分に合っている気がしました。職業選択の“幅”を広げることが目的なのではなく、就きたい職業に就く。そのために勉強が必要だから、やる。勉強と学問とは、そういう順序・関係性なのですね。「目的」と「手段」の関係。まずやりたいことがあって、それを実現させるために勉強がある、学問がある。

単純だが、忘れがちになるところです。

その中で、ずっと悩んでいたことがありました。

自分は勉強をがんばって、臨床心理学という勉強をやったのに、それを活かせずにいるのではないか。

あの勉強の日々はなんだったのか。

学生時代の勉強と、今の活動の“つながり”は、いったい“ある”のか、“ない”のか。

そういうことです。

大体みんな、学生時代に勉強をやった人は、その学問を活かした仕事に就いています。教育学部を出た人なら先生に、文学部を出た人なら学芸員や小説家に、経済学部を出た人なら銀行や商社のサラリーマンに、工学部ならSEや開発者に、理学部なら大学に残って研究員に、薬学部なら薬剤師に、医学部なら医者に・・・、というように。薬学部を卒業した人が先生になったり、あるいは工場の作業員になったりする、そういうようなことはまれな気がします。大体は、勉強したことを活かして、学生時代の願望・夢を延長させて、その延長線上にある仕事について行こうとする・・・。そういう人が多いです。

じゃあ僕の場合はどうだったのかといえば、カウンセラーになりたかったのですが、広く人助けみたいことをしたかったのですね。カウンセラーという職業自体に、強いこだわりはなかった。ただ、人生に悩んでいる人の助けになりたい。そういう気持ちはとても強かったです。そして僕の大学時代流行っていたのが、アメリカから輸入された心理系の創作物とそれをとりまく諸概念(犯罪心理学、プロファイリング、アダルトチルドレン、カウンセリング、虐待、トラウマが事件の原因になるような小説など)だったことがあります。当然のごとく、アニメや日常見るドラマなどにもそういう要素が織り込まれていきます。そういうのをよく見ていたため、自然と、心理系の仕事に惹かれていった。そしてカウンセラーになりたいと思っていた・・・。そういう部分が強いです。

ということは創作をしながら、人助けができればいい制作をしながら、自分の知らされたこと、勉強したことを社会に還元していけばいい・・・。そういうことに気がついたのですね。それが自分の中でつながったな、と知らされたのは、小説を書いたときでした。文章で心理系の知識、そして社会人になってから今まで身につけてきた知識を織り込んで、それを“文”で一貫性を保った流れの中で落とし込んでいく。すると今までバラバラに分断されていた経験の断片の一つ一つが、大きなひとかたまりの流れを持って一貫性をもってつながる・・・。大学で勉強したことも活かすことができる・・・。そういうことに気がついたのです。

そして、絵を描くだけが自分のやるべきことなのではない。ブログも自分の制作活動の一部だ、ある種の“作品”なのだ・・・。そう思えるようになりました。

・やりたかったことは、ネットを介した創作活動(DL同人とその周辺領域)だった

ということは、本質的に僕がやりたかったこと。それは、

「インターネットを通じた創作活動(イラスト、小説、ゲーム制作)をしながら、大学で勉強した知識を活かし、人の役に立つこと・助けになることを行うこと」。そういうことになります。

つまり今やっているDL同人活動、そしてその周辺領域(ブログ、X、YouTubeなど)なのですね。

導かれるように、長い間15年近く迷って、さまよってきた感じがしますが、長い年月を経て、やりたかったことはネットを通じて展開される表現活動だった・・・。そのように言っていいと思います。幸い、いまは少しですがブログのPVも伸びてきました。一生懸命書いた記事を、見ていただけるというのはとても励みになります。

迷いに迷ってきた社会人としての20年近くですが、このネットでの「闊達行雲」としての活動を経て、ようやく自分の向き合うべき道が見つかってきた・・・。そのように感じております。

気がつけばいつでも、通るべくして通る道を歩きながら、導かれるようにして進んできた感じがしています。あとは“初志貫徹”して、やりたかったことをやっていくだけですね。

・活字にふれる

細かな創作の悩みを書き出しアウトプットすることで、悩みがスルスルとほどけていく・・・。そのような経験をよくしてきました。

絵ばかり描いていると、言いたいことやしゃべりたいこと、伝えたいことがたくさん溜まってきてもどかしい気持ちになるときがありませんか。初期の頃、僕は絵が下手だったということもあり、絵の中での自由を感じられる度合いは非常に低かった。そのために文章の方を書きまくって、その“言語(意味)”の中で自由を楽しんでいた・・・。そういうようなことがありました。

絵を描いていても一向に形にならない。あるいはなっても売れていかない。ぶっちゃけ絵は苦手だ。もっと語りたいこと、しゃべりたいことがある。そちらの方に魅力を感じる・・・。そういう場合は、ブログや読書をするといいかもしれません。

僕は読書をして、あるいはブログを書いて、小説を書き、そして絵を描いていくことで、ここまで活動を続けることができました。山あり谷ありの起伏の大きな道ではありましたが、創作が好きだという気持ちはずっと切らさずに続けてこれたような気がします。「絵描きだから絵だけを描いていないといけない・・・・」。そんなことはないし、何を創作としてやるかは、自分で決めていくものです。絵が好きでも小説を書いていけないということはないし、読書をしていけないということはない。

僕からブログと読書を取り除いたら、何が残るでしょうか。たった作品3つしか残りません。それでも足かけ14年間、お休み期間を除くと8年間、楽しくやってこれました。そして今後も続けていきたいと思っています。そういう気持ちを起こさせ、思考を整理し、自分のことをよく知っていくのに、ブログと読書に本当に助けられてきました。そして小説を書くことによって、ブレイクスルーが訪れました。これだけ創作に向ける熱い気持ちがあるということは、ブログが“作品”だったのです。読書することが必要だったのです。そう自分の活動を肯定してよいのです。

絵描きだけど絵は苦手、という方にはなおさらその気持ち・感覚を大事にして、「実は文章の方に答えがあるのかもしれない・・・」。そう思って、「読書」をし「ブログ」をつけいくことをオススメしておきます。自己のこと他者のこと、世界のこと、分からないことが、ほどけるようにして知らされてくることがありますよ。学校の授業で教えてもらうことよりも、現実というフィールドの上で得る知識こそ、“生きた学問”なのです。

・自己否定よりも、歩んできた道を“肯定”する選択を行おう

自分の歩いてきた道を否定するのではなく、肯定する。そこからすべての思考や、行動が出発する・・・。そのように考えています。

過去のことをくよくよしても仕方ないし、むしろ失敗もすべて、あらゆるものが今の自分をつくるために必要だったのだ・・・。そのように肯定することで、僕は道が開けてきました。自己肯定の大切さについては、ブログのいろんなところで言っているので探してみてください。

自分の選択を否定せず、もちろんよく考えますが、出した結論を「肯定」していくことで道は開けていく。否定ばかりしていると、なんとも味気ない人生になるじゃないですか。それよりはよく考えて、熟考しなければならないけれども、選んだ道を“肯定”して前に向かって進んでいく。そのほうがいいと思っています。そのよすがとして絵だけではなく、ブログや読書にも取り組んでみる。そういうことを述べてきました。

迷い多く、長い間停滞してきた人生でしたが、その分話のネタには尽きない人生になったと思っています。それらを作品やブログ、YouTubeに“昇華”して、この領域で完全燃焼して、活動できればいい・・・。そのように今は思っているところです。

進路に悩む方は少なくないと思いますが、この放浪記を読んで、少しでも共感や納得をいただき、創作活動もとい人生が軽やかなものになってくれれば、望外の喜びです。そういう思いで、この文章を贈らせていただきたいと思います。